鳥取の歴史 |
〜鳥取の歴史・沿革〜 |
鳥取の歴史、沿革ここでは、鳥取の街の歴史、沿革についてご紹介したいと思います。 |
■ 鳥取市は、鳥取県の東北部に位置し、北は日本海に面し、 東は岩美郡、西は気高郡、南は八頭郡に接しています。 市域は、千代川の下流域に開けた鳥取平野を中心に鳥取県 東部の広範囲を占め、県庁所在地として、鳥取県東部生活圏の 中心をなしています。 日本一の鳥取砂丘、湖山池などを有し、豊かな自然と海の幸、 山の幸にそして美しい自然環境に恵まれた鳥取市の誕生は、今から 450年以上前の天文年間に、この地方の守護職であった山名 誠通が久松山頂に三層の櫓を築き、城郭を形成したのが始まり です。鹿野・智頭・若桜の三街道を中心に町並みが整備され、 現在の市街地の基礎を築き、明治22年(1889年)10月に、全国で 36番目に市政を施工。以降、県都として、また、山陰地方の中核 都市として、政治、経済、文化など、あらゆる面で中心的な役割を 果たしつつ、発展を続けてきました。 また、発展と同時に、鳥取市の歴史は、災害との闘いの歴史で あったともいわれます。たとえば、大正時代の千代川の氾濫による 大洪水をはじめとする幾たびかの洪水、昭和18年の大地震、昭和 27年の大火災で市街地の大半を焼失するなど、数々の災害を経験 しています。しかし、このような大災害に遭遇したにもかかわらず、 粘り強い市民の力で、そのたびに、不死鳥のように見事に立ち直り、 蘇らせ着実に近代都市への変貌を見せてきました。 平成の大合併もあり、現在人口は約20万人となっており、 これからますますの飛躍に期待したいところです。
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